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REPORT

真夜中の映画祭 リターンズ
インディペンデント映画の"Cutting Edge"
2018年7月7日(土)22:15~翌04:30

(第三部)

インディペンデント映画の“Cutting Edge

〜「渋谷真夜中の映画祭」から飛び出す若き映像クリエイターたち〜

 

part1:「ヒカリエイガ」を作ったクリエイターたちの今
登壇者:本田孝義監督、完山京洪監督、澤田サンダー監督、加藤綾佳監督

MC:木村龍童さん

 

2012年、ヒカリエの各フロアを舞台に製作されたオムニバス映画『ヒカリエイガ』。壮大な企画はどうやって生まれ、実現したのでしょう? 監督たちが集まり、当時の撮影秘話や資金繰り(!)、その後のご活躍について、大いに語り合いました。

 

< Profile >

 

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本田孝義(ほんだ・たかよし)さん

映像作家・プロデューサー

1968年岡山県生まれ。法政大学在学中から、自主映画の製作・上映を行う。卒業後、テレビの仕事を経て自主製作を始め、長編ドキュメンタリー映画制作、劇場公開用映画も手がける。『ヒカリエイガ』では、『プロローグ&エピローグ』を製作。夭折の俳人・住宅顕信の生きざまを追った『ずぶぬれて犬ころ』が完成、近日公開予定。

https://www.facebook.com/takayoshi.honda

 

 

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完山京洪(かんやま・けいひろ)さん

映画監督

1978年東京都生まれ。2010年、初監督作品『シーソー seesaw』でSKIPシティアワードを受賞。ハワイ、ウィーン、ブエノスアイレスなど11の国際映画祭に招待され、2012年ヒューマントラストシネマ渋谷と大阪第七藝術劇場で劇場公開。『ヒカリエイガ』では、『Make My Day』を製作。2015年より、短編映画の撮影をきっかけに、舞台の福岡県大川市へ移住。

http://keihiro.com/

 

 

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澤田サンダー(さわだ・さんだー)さん

映画監督・脚本家・作家

1976年、青森県生まれ。テレビ業界を目指して10代からシナリオセンターに通い、一般企業を経て、2007年、絵本『幼なじみのバッキー』で岡本太郎現代芸術賞に入選。2010年、東京藝術大学大学院へ進学。『ヒカリエイガ』では、『私は知ってる、私は知らない』を製作。2017年、『ひかりのたび』で、伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞2015中編の部大賞受賞。東京・大阪・神戸・仙台・青森など全国10箇所以上にて劇場公開された。

https://www.facebook.com/sawada.thunder

 

 

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加藤綾佳(かとう・あやか)さん

映画監督・映像ディレクター

1988年、新潟県生まれ。映画美学校を経て、初監督作「水槽」を製作。ぴあフィルムフェスティバル2012コンペティション部門に入選。映画やCMの助監督・制作スタッフを経て、2015年『おんなのこきらい』で劇場デビュー。『ヒカリエイガ』では、『キラキラ』を製作。9月、最新作『いつも月夜に米の飯』が新宿シネマカリテで上映予定。

https://goldfish-films1017.amebaownd.com/

 

 

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木村龍童(きむら・りゅうどう)さん

俳優/プロデューサー/脚本家/演出家/ナレーター

1967年大阪府生まれ。俳優として、舞台・ドラマ・CMなどに出演。『ヒカリエイガ』では『Make My Day』(完山京洪監督作品)で主演を務めた。2014年、自らプロデュースを手がけ、主演した映画『Barrel』を公開

https://works9.jimdo.com/

 

打ち上げの席で言ったひと言が、まさかの実現!

木村龍童さん(以下、木) ヒカリエの各フロアを題材にしたオムニバス映画『ヒカリエイガ』がつくられて、かれこれ5年。ここにいらっしゃる4人が、作品を手がけて下さいました。思い出話あり、また『ヒカリエイガ』をきっかけに皆さん次のステップに進まれ、今どうされているのか。活動状況も含めてお話を伺えたらと思います。

 

本田孝義さん(以下、本)2012年に開催された「渋谷真夜中の映画祭 第零夜」で、僕らは※1)青山大蔵さんに誘われて、裏方で働いていたんです。打ち上げの場にインディペンデントの監督も何人かきていて、酔った勢いで「また映画祭をやろう、ヒカリエで撮ったら面白いんじゃない?」という話になり、青山さんが本気になっちゃって。僕が知らない間に東急電鉄さんにお話をされて、どんどん本格化して、「言い出しっぺとしてどうしよう!」というところから出発したのが『ヒカリエイガ』です。

 

完山京洪さん(以下、完) 最初は本田さんが東急さんと話を進めていて、「予算とったから!」っていわれたけど、1人(あたり予算が)10万だったんですから。それでスタッフ何人呼べるかな?って話ですよ。本田さんはドキュメンタリーの監督さんだから、基本、一人でまわしていればいいけど、僕ら、どうやってやるんだ!? ずっと根にもってますよ。

 

本 でしょうね(笑)

 

完 でも、楽しかったんで、よかったですけれど。

 

本 制作費はトータルで100万だったんですよ。最初は4人ぐらいの監督でやろうかと思っていたんですけれど、東急電鉄さんから「せっかくヒカリエでつくるなら、全フロアやってくれ」という話になって。監督が8人ぐらい必要になって。

 

木 女性監督を入れたいなってことになり、「探せ!」と。もう、電話かけまくり。

 

本 そうそう。だって、ヒカリエで撮るのにさ、男3~4人で撮っても面白くないじゃん。そこで加藤綾佳監督、井口奈己さんに入ってもらって。最終的に、僕を入れて9人でつくったのがこの映画です。僕はプロデューサーだったんですが、ドキュメンタリーで撮りたいと思いまして。ヒカリエの裏方さん…閉店後に掃除をしているおばちゃんや、ガードマンさんを撮って、プロローグとエピローグというかたちにさせていただきました。

 

木 「みんなで監督します」といったとたんに、本田さんの携帯が鳴りまくりですよ。

 

一同、笑

 

※1)青山大蔵(あおやま・たいぞう)

株式会社シーズオブウィッシュ代表取締役 アミューあつぎ映画.comシネマ代表

1968年大阪府生まれ。第零夜から「真夜中の映画祭」実行委員長を務め、その体験をもとに、2012年、閉館した「厚木テアトルシネパーク」の跡地を、行政と民間企業と市民と協力して、ミニシアター「アミューあつぎ 映画.com」として再生した。

https://www.seedsofwish.com/

 

撮影時間は、22:00~翌5:00

本 具体的に撮るとなると、監督がいつロケハンして、どういうものが必要だとか、いろいろ出てくるわけですよ。

 

完 基本的なルールが、営業が終わってから次の営業がはじまるまでの、22:00ぐらいから5:00。僕らは7:00過ぎましたけど(笑)それでも僕、守った方で。他の監督は数日に分けて撮ってて。すぐルール破るもん!みんな。

 

木 (笑)作品として、1本あたりの尺のルールは10分? 守ってない人いるよね?ここに。

 

澤 長ければ目立つと思っている人が…(笑)

 

一同、笑

 

加藤綾佳(以下、加) 最初に「どのフロアがいい?」ってドラフト会議がありましたよね?

 

本 結局、重ならなくて、もめなかったんだよね。すんなり決まって。食品売り場が加藤さん。

 

木 なぜ、食品フロアを選んだんですか?

 

加 子どもの話を撮ったんですけれど、小さい頃※2)『フクちゃん』のアニメを見て、唯一覚えているのが、親とはぐれたフクちゃんが閉店したデパートに閉じ込められて、試食品を食べたり、勝手に寝具ルームで眠ったりして1日を過ごすというお話。食品売り場って、わくわくするなぁと思って撮りました。

 

木 実際撮り始めて、印象と違うなってことはありました?

 

加 「(地下2階にある)某メーカーさんで撮りたい」といったので、本田さんが苦労しまくり(笑)(広報の方に)ポケットの中にマカロンの箱を入れて取り出すというシーンがダメだといわれて。

 

本 お店の方がずっと撮影に付き合ってくれましたね。

 

※2)『フクちゃん』:漫画家・横山隆一さんの新聞連載。1936年、「東京朝日新聞」東京版(現・朝日新聞)で連載、1956年以降は毎日新聞にて15年に渡り連載された。

 

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制約がいっぱい!

木 僕は完山組の作品に出たんですけれど。地下1階の化粧品フロアで撮ったんですよね。

 

完 僕は子どものときにメイクされるのがすごく好きで。中学生の頃、童顔で肌がすごくきれいだったんで、放課後に女の子たちが「メイクするのが楽しい」って、すごくいじられてて。それで化粧品フロアがいいなと思いました。オーディションをやって、出演していただいて撮ったんですけれど。予算は1人10万なんで、1人一律2500円にして「交通費しか払えません」と言って。

 

木 Facebookで晒してたよね。

 

完 それでもやってくれる人と一緒に撮りました。「真夜中の映画祭」のファンがけっこういらっしゃって、エキストラがたくさん集まったんですよね。「(地下1階にある)某メーカー」さんのブースが、ロケーション的にちょうどよかったんで。

 

木 「周りにあるショップの看板が映りこまないようにしてくれ」とか、(制約が)いろいろあったじゃないですか。

 

完 電気をつけると、他のショップのモニターがぜんぶ映るんですよね。そうするとモデルたちがばんばん映ってくるんですよ。そうするとお金がかかるんですよ。

 

一同、笑

 

完 切ったら営業していないけど、つけてると大変だから。それで(撮影)時間(が)かかりましたね。

 

木 本田さんが(心労で)血尿になった原因が、完山組。そんなに大変だったんですか?

 

本 「(地下1階にある)某メーカー」の制服を借りる話があって、本社に電話したら、「お前は何者だ!?」っていきなり怒られて。

 

一同、笑

 

 

完 それ以外にも、僕、 制作費10万プラス僕自腹で10万出してますから! こまごました出費がすごかったです。金の話ばかりですみません。

 

一同、笑

 

完 つくるときに、そういうところも意外とかかるという話は知っといてもらってもいいんじゃないかなぁ。

 

 

本当に“濃い人”が来た?

木 もともと、ぜんぜん違う脚本だったんですよ。ね?

 

完 (無言)

 

木 覚えてないんかい!? 男がふらっと化粧品売り場に現れて、メイクされて変わっていくというお話は変わらないんですけど、イメージされていたのは、どこにいるのかわかんない、影の薄い男。僕、オーディション受けるときに、台本をもらって「こりゃ、ダメだ」と。でも、なんだか知らないけど、ひっかかっちゃって。「なんで僕なんですか? 他に誰もこなかったんじゃないですか?」と聞いたぐらい。それから打ち合わせして、セッションして、どんどん話が変わっていって…覚えてないですか?

 

完 (再び無言)

 

木 覚えてないんだ!

 

一同、笑

 

完 ただ本を書いても、オーディションで来たキャストが違ったら成立しないじゃないですか。大事なのは最終的にお客さんが見る作品であって。「うすい男」っていうのは、たぶん「化粧映えする」という意味で。日本女性はきれいなんですよ。うすい顔立ちの方がメイクが映えるときもあると僕は思っていて。濃い人がメイクすると、本当に濃いから。でも、本当に濃い人が来られたので。

 

一同、笑

 

澤田サンダー(以下、澤)木村さんが来たら、木村さんでいいかなと思うよね。こんな顔でメイクしたら、面白いだろうなぁ。

 

 

本 映画は、すごく面白いんですよ。

 

完 YouTubeで無料公開しています。

 

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シアターオーブを借り切って

澤 俺は、ヒカリエの歴史を使って、裏をかいた作品ができないかなぁと思っていろいろ調べたら、なんと行き着いた結論は「渋谷からミニシアターが消えていいんだ」ということ。ヒカリエのもとであった東急文化会館が火をつけてしまった現象で、仕方のないことだと。もともと『ヒカリエイガ』には、「渋谷にミニシアターを復活させる」というコンセプトがあるので。青山さんが怖いんでどうしようかぁと思いつつ、うすーく、わかる人にしかわからないかたちで脚本を書き始めた思い出がありますね。

 

本 全監督の脚本をぜんぶ読んでいるんですけれど、一番迷走したのがサンダーさん。

 

澤 そうですね。やりたいことはわかってるんですけど、作品的にも知名度的にも僕が一番無名だったし、経験がなかったというのもあって。今はお亡くなりになった主演の荒金蔵人さんと一所懸命脚本を書いた記憶がありますね。40過ぎたおっさんが今まで自主映画でいろいろやってきたけど、ぜんぜん芽が出ないから、生き残り大作戦と称して『ヒカリエイガ』をやってたんで、村一揆的な、お二人みたいな面白いエピソードはないですね。

 

本 最上階の※3)Orb(シアターオーブ)というミュージカルの専門劇場をまるまる使って。誰もいない空間で、出てくる人も3人だけ。すごく広い劇場で撮影させてもらって、ある意味贅沢ですよね。

 

澤 「東急文化会館」とかたちを似せてつくっている場所がそこだけだったんですよ。ミニシアターがいくつもあるデパートをなぜなくしたのか?ということを表現するのによい場所だったんですよね。(開業)当初、ヒカリエに映画館がないことにいろいろと問い合わせがあったらしいんですけれど、映画館がなくなったのは仕方のないことで、実はよいことだったんだというのを、なんとか表現できたかなという感じです。

 

※3)Orb(シアターオーブ):渋谷ヒカリエ最上階にある劇場。照明ブリッジや持込機材の設置に高い自由度があるため、国内外問わず、多様な演出に対応している。theatre-orb.com

 

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『ヒカリエイガ』をきっかけに

澤 ちなみに俺、その後『ひかりのたび』という長編映画を撮ってるんです。『ヒカリエイガ』の試写会に元気屋エイジ監督の作品を観に来たプロデューサーが(僕の作品を)気に入ってくれて、その人と組むことになったんですよ。そろそろ、そういう話をしましょうか? しかも、主演の高川裕也(たかがわ・ゆうや)さんも、これまた元気屋エイジさんの映画に出ている人。カメラマンは西田瑞樹さんという完山チームの…人の横取りしまくってるんですが。それで西田さんが海外で撮影賞をとって。

 

本 加納隼監督は、その後『死んだ目をした少年』というすごくエッジのきいた長編映画を撮ってデビュー。井口奈己監督は、竹野内豊主演の『ニシノユキヒコの恋と冒険』という素晴らしい映画を撮りました。堀井彩監督はこの中でも一番作品を撮っていて、短編・中編・長編でものすごい数を撮り続けています。七里圭監督は、たぶん日本の映画で一番ラジカルな映画づくりをやっていて。普通、映画は撮影からはじまるけれど、『ヒカリエイガ』の後に、音からつくる映画をはじめましたね。実験的にやっているんですよ。つい最近、それが長編になりまして。元気屋エイジさんはちょっとよくわからない…。

 

一同、笑

 

澤 まわりがみんな元気屋さんの友達ばっかりなんで、僕。よく噂聞きますよ…ここじゃ言えない!

 

本 さっき、8人の監督の電話を受けてプロデューサーはものすごく大変だという話をしましたが、監督の現場を全部見られるという役得もあって。僕の場合、これまで頑なにドキュメンタリーを撮ってきたんですけれど、(『ヒカリエイガ』を経て)、岡山に実在した30年前に亡くなった俳人の映画を撮りたいと思うようになって。亡くなった方のドキュメンタリーはすごく難しいなと思って、劇映画にしました。僕、学生時代は劇映画をやっていたので、またやってみたいなと思えたのは、『ヒカリエイガ』の影響がすごく大きかったですね。『ずぶ濡れて犬ころ』という映画なんですけれど、一昨日完成しました。

 

木 おめでとうございます!

 

一同、拍手

 

本 脚本を書いてくれたのが完山組の山口綾子さん、撮影をやって下さったのが井口組の鈴木昭彦(すずき・あきひこ)さん、主演が加藤さんの映画に出ていた木口健太(きぐち・けんた)さん。『ヒカリエイガ』で出会った人たちでできた映画なんです。公開はまだ先になりそうですが、ぜひ見ていただけたらと思います。

 

映像と地域おこしはめちゃくちゃ相性がいい(完山)

完 3年前に福岡県の大川市というところで短編映画を撮らないか?という話がきっかけで、移住したんです。いろんな映像をつくって準備をしているところなんですが。九州はアジアに近いというのもあって、すごく面白い。撮影の許可がまったくのフリーなんですよ。今まで何ひとつ許可とったことがなくて、奇跡みたいなところで。新しいことをするときには、まだルールが敷かれていないところでやるべきだなと今すごく感じていて。最近、社団法人の理事にもなってしまっていて、自分の考えていた方向とはまったく違う展開ですが、いつかまた映画に戻ってくるだろうなと思って、活動しているところです。

 

本 町づくりをやってるんですよね。

 

完 総務省がやっている「地域おこし協力隊」になって行ったんですよ。映像をやっている人間が参加するのは初めてみたいで、だいぶ新聞やテレビに出たんですけれど。映像と地域おこしはめちゃくちゃ相性がよくて。当然都会に映像の仕事があるけれど、地方にもものすごくあるんですよ。向こうではやり方がわからないから、とりあえず代理店に投げてみたりするので、可能性としてはめちゃくちゃありますし。世界で活躍している日本の映画監督もそうですけれど、圧倒的に日本的なロケーションを求められている今、シンガポールや香港など、新しい都会がたくさんあるので、東京もちょっと苦しくなってきていて。

 

木 大川に骨をうずめる?

 

完 どうですかねぇ。空き家を買って、リノベーションしてコワーキングスペースをつくって、ゲストハウスをつくって…って、いろいろやっているんですけれど。

 

本 大川に映画館はありますか?

 

完 一個だけ、2年前に30年ぶりにできました。

 

本 インディペンデント映画の上映はやっていないの? 東京では、かなりたくさん上映されているんですよ。大川からはどう見えているのかなぁと。

 

完 基本的に向こうの人たちはまったくわからないと思いますよ。大高さんのどこでも映画館ができる「ポップコーン」なら、地方でそういう映像を流せますよね。敢えて東京でしかやらないことを、どこか地方でだけやれるということに、僕はメリットを感じていて。人を発掘するところからね。映像を目指す人は、福岡から東京に流れていくという現状があるんですが、どこかでひっくり返して、福岡でアジアの仕事ができるようになって、アジアから福岡につながることがもしできれば、また映像業界が盛り上がるということもあるんじゃないかなと。自分の作品だけじゃなくて、業界全体のことを含めて面白い仕掛けができればいいなぁと思っています。青山さんが厚木に行かれて、そこで映画館をやっているということに僕も刺激を受けて、福岡へ行ったというのもあります。

 

木 当時も熱い思いを持って活躍されていたと思うんですが、それぞれがステップを踏んで、あの頃よりも輝いていると僕は思っておりますので。それぞれの現場に呼んでいただけるのを、僕は待っています。

 

一同、笑

 

澤 ただの押し売りじゃないですかねぇ。

 

木 ぜったい、澤田サンダー作品には出ねぇ!

 

澤 いやいや、木村さんを観たいという人はたくさんいるかもしれない(笑)

 

 

 

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