Hikarie

SHIBUYA WANDERING CRAFT 2017 ECO

8.3 thu - 8.29 tue 11:00-20:00 入場無料

⑦ エコアドベンチャーな活動家たちのトーク

エコアドベンチャー展 トークセッション④

© Kei Sato
8月12日、COURTで行われたトークセッション。登壇者は、廃棄されていたみかんの皮を魚の養殖に活用し、新たなブランドを生み出した木和田権一さん、竹にあかりを灯しながら各地でまちづくりに挑戦する三城賢士さん、エコロジーをテーマに多数の番組を制作するラジオディレクターの上野恭平さんです。
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木和田 権一 (きわだ・けんいち)
株式会社宇和島プロジェクト代表取締役社長。宇和島でみかんジュースをつくるときに大量に廃棄されていた皮を魚の養殖に活用し、数々のヒット商品を生み出す。これまでの技術を結集し、海外進出も視野に入れている
© Kei Sato
三城 賢士(みしろ・けんし)
CHIKAKEN 共同代表。竹あかり演出家。大学在学中に学んだ「まつり型まちづくり」を実践しながら、各地で「竹あかり」を灯し、その土地ならではの“風景”と“物語”を生み出す。実績として、伊勢志摩サミット・配偶者プログラム夕食会場をはじめ、会場演出を多く手がける
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上野 恭平(うえの・きょうへい)
ラジオディレクター・構成作家。学生時代に国際青年環境NGOで活動。野外フェスティバルでの環境対策運動を経て、より多くの人へメッセージを伝えるため、ラジオの世界へ。J-Waveをはじめ、さまざまな局で番組を制作する
本企画の総監修を務める谷中修吾さんのアイディアで、スタードームがトークセッションの舞台に。上野さん曰く、「これこそラジオに近い雰囲気」。さて、その意味するところは? まずはそれぞれの活動についてのお話からはじまりました。
© Kei Sato

これまで捨てられていたみかんの成分が、ヒット商品誕生の種に

宇和島で、漁業をしながらみかん作りも手がける家の長男として生まれた木和田さん。「みかんジュースをつくるときに、しぼりカスがたくさん捨てられていたんです。それを魚が食べることで品質が長持ちすることがわかり、水産試験場さんと商品の共同開発をするようになりました」。その第一弾が、「みかんブリ」。もともと鰤は、変色の早い魚。餌に混ぜたことでみかんの香りがつき、「柑橘の香りがする魚なんておいしくない」「絶対に売れない」と、当初、社内の評判は惨憺たるもの。しかし、家に持ち帰ったところ、今まで養殖の鰤を食べなかったご家族から、「何これ、おいしい!」と称賛の声が。「世界が変わるなって感触はありました」(木和田さん)。そこで100社に配りアンケートを行ったところ、大手寿司チェーン「くら寿司」から、7000尾の発注が。その結果、魚嫌いのお子さんもみかんブリ食べるようになり、一躍ヒット商品となったのです。「消費者に受け入れられるかは販売してみないとわかりませんでしたが、身近に生産者の方がいて、一緒にトライアルしようっていう人たちがいたのでできました」と、木和田さん。

対面販売がヒットの布石に

みかんブリをきっかけに、現在ではみかん鯛、宇和島サーモンと種類を増やし、海外への輸出もしている木和田さん。軌道に乗るまで、その道のりは平坦ではありませんでした。漁業者が枯渇していく中、手取りが少しでも高くなるよう漁協で社内ベンチャーを立ち上げたのが16年前。B to C*で消費者に売ろうとホームページを立ち上げましたが、年間の売り上げは200万。B to B*に切り替えてもあまり売れなかったそうです。そこで、青年漁業者を集め、直接営業ができるよう漁協で株組織を発足。1か月に1回、金・土・日と新橋をメインに対面販売を開始したのです。「当時は産直の走り。「宇和島からよく来てくれたね」と、鮮魚ボックスで購入してくれて。このときから売り上げが増えていきました」と、木和田さん。
東京を中心に、7~10cmの小アジに衣をつけて大手スーパーに提案したところ爆発的なヒットを生み、その後もさまざまなニーズに応えるうち、2010年には売上が約3億に。一尾70円だった豆アジの漁師の手取りが3倍に増えたそうです。しかし、新たな試みに対して漁協が消極的だったこともあり、7年前に「宇和島青年プロジェクト」を設立。みかんブリのヒットの布石となったのです。
B to C*
Business to Consumer。企業が個人に対して商品やサービスを提供すること
B to B*
Business to Business。企業間取引
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物語をもつ魚が、もっと受け入れられてもいい

立ち止まりながら次を考えて、汗を流しながら新橋をまわって。物語ですね」と、上野さん。「新しいことをはじめるときに反対されるのは、たぶん、どこの世界でも同じだと思うんです。それをどうやってクリアされたかを、みんなに聞いてほしいですね。一方で、物語を持つ魚が日本国内よりむしろ海外からの引き合いが多いのは、少し寂しい気もします」(上野さん)。日本では、東日本大震災をきっかけに、エネルギーや食べものがどこから来ているのか、誰がどんな思いで作っているのかが、価格よりも高い価値になってきました。アメリカでも、リーマン・ショックの影響で、大量生産・大量消費から、身近にいる人たちが作っているものを手にしよう、仲間と一緒に生きて行こうという価値感に変わってきているようです。「日本でもう少し、こういったものが受け入れられて欲しいなと思います」(上野さん)。
© Kei Sato

そこにしかない物語をつくる

竹のオブジェを地域の人たちとつくり、灯をともしてその土地に物語をつくっている三城さん。きっかけは、三城さんの地元・熊本の熊本城で開かれるお祭り「みずあかり」。大学在学中、お祭りを起点にまちづくりをする研究の一環で、地域の人たちと一緒に企画を考え、竹を採りに行き、資金を集め、制作、設営、片付けのすべてを担当。今も、1回のイベントに延べ7000人ぐらいのボランティアが参加するそうです。「お寺や神社、蔵…そこにしかない風景と竹あかりをコラボさせて。そこに住む大人や小学生がつくり、昔の伝説にちなんででもいいし、慰霊のためでもいい。あかりを灯すわけがあって。そこにしかない物語をつくり、それが町づくりになっていったら」と、三城さん。お祭りが終わった後も地域の人たちが主体的に動けるよう、呼ばれた場所ですべてのノウハウを教えるのだそうです。

参加型こそ、まちづくりに重要な要素

「参加型って、今、まちづくりにとても重要な要素。2000個のうちの1個かもしれないけど、「あれ、俺なんだよね」っていえるかどうか」と、上野さん。「竹あかりのいいところは、日本全国に竹が生えていること」と、三城さん。身近な材料でできるので輸送費もかからず、結果がわかりやすいことも魅力のひとつと続けます。「まちづくりって、やってるうちに、だんだんテンションが落ちていきがちなんですけれど。竹あかりの場合は、竹をとってきて、穴あけて、地元の神社に並べて灯をともしたら「わぁ、きれい!」と喜んでくれる人がいる。モチベーションを保ちやすいんです」(三城さん)。竹あかりをきっかけに、地域や仲間のことを考え、まちづくりに誘導していく。一過性のお祭りで終わらないよう、各地で竹あかりを灯しているそうです。
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一人でも多くのプレイヤーを紹介したい

「お二人はプレイヤーとして、走りながら未来を作っていらっしゃると思うんですが、僕の場合、そういった方をどれだけ紹介できるかという仕事をしています」と、上野さん。大学時代に、FUJI ROCK FESTIVALをはじめとする野外イベントで、会場で出たゴミを解決するNGOで活動。数百人のボランティアと一緒に分別を呼び掛け、ゴミを資源に変えました。ペットボトルをゴミ袋に、紙コップをトイレットペーパーに変えて翌年の同じフェスティバルで配り、非日常でゴミを半分減らせたということは日常でもできるということを問題提起したのです。活動を通してたくさんの方たちと出会い、疑問を感じたのがイメージとリアルのギャップ。「プレイヤーは「これこそが世の中を変える!」って走るんだけど、周りの人からは気持ち悪いものでしかない。それでは変えられないでしょう(笑)」。世の中に一人でも多くのプレイヤーを紹介したいと思い、ラジオの世界へ入ったそうです。

誰かの心を打つ物語は、すでにあるものではなくて、みんなでつくっていくもの

現在、J-Wave、TOKYO FM、渋谷のラジオなど、たくさんの局で番組制作を手がける上野さん。ラジオが伝えるのは温もりなのだそう。「たとえば、Aは、本当に美味しい素材を一流の職人さんが握るお寿司。Bは、海外留学から帰って、1年ぶりに家族みんなで食べるスーパーのちらし寿司。どっちがおいしいか?と考えるときに、ここでBと答えるのがラジオなんです。本当に心に響くのは、小さな小さな、自分にしかわからない物語。僕たちのエネルギーが最も高くなる瞬間は、その物語を誰かに伝えるとき。誰かの心を打つ物語は、すでにあるものではなくて、みんなでつくっていくものなんです」(上野さん)
毎週放送する番組で途中経過を紹介していくと、リスナーがアドバイスをしたがるのだそうです。「みんなで主役になっていく。その物語やチームリーダーには、むしろ欠点があった方がいいと僕は思っています。完璧な人やチームには、入っていくすき間がない」と、上野さん。「みかんブリも、きっかけはラジオだったんです。私が地元のラジオでしゃべっていたときに、皮からしぼったオイルでやってみたらどうか?と、アドバイスして下さった方がいて」と、木和田さん。ラジオの底力を感じました!

今後の展望は?

事業として、店舗やコンサートイベントの会場の装飾を手がけたり、COURTで開催されたような気軽にできるワークショップを各地で開催している三城さん。「竹あかりそのものが新しい日本の文化になることを願い、よりたくさんの場所でつくっていきたいですね」(三城さん)。
「暑い国でサーモンの養殖をしたい」と、相談を持ち掛けられている木和田さん。サーモンの敵水温は16度。20度を超えると死んでしまうので難題へのチャレンジですが…「ワクワクするんですよね。夢を夢で終わらせたくないんです。日本の技術やおいしいものを、同じモチベーションを持つ人と一緒に、世界に売っていきたいと思います」(木和田さん)
「今回スタードームの中で、アットホームにやらせていただいて。ラジオとすごく感覚が近いんですよ。この小さな輪が、どんどん全国に広がっていったらいいなと思います」と、上野さん。ラジオにできることは、まだ見ぬ仲間に出会うこと。「こんなことをやろうと思うんだけど追跡してくれない?というときは、ラジオの番組のメールアドレスに送ってくれるとうれしいですね。僕らが企画するより、すでに思いを持ったプレイヤーの方が面白いんです」と、上野さん。これからみなさんがどんな物語を生み出していくのか、今からワクワクしますね。
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